沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第27回『食は名古屋にあり』

名古屋めしはでらうまだでいかんわ。イラストレーター・沢野ひとしさんが“食”にまつわる思い出や発見を、文章とイラストで徒然に綴る連載だがね。沢野さんの新刊『中国銀河鉄道の旅』にも、中国を旅した人しかわからん本場の味が満載だで。

 名古屋駅の地下街で初めて味噌煮込みうどんを食べた時、一瞬のためらいがあった。煮えたぎった土鍋が怒っている。
 地元のテーブルマナーを観察すると、土鍋の蓋を引っくり返してアツアツのうどんを移動させている。あるいは小振りの茶碗に入ったご飯の上に乗せている。土鍋から直接食べることは、やけどを招きかねない。麺は驚くほどコシが強く、パスタのアルデンテをはるかに超えている。
 濃厚な味噌に戸惑い、生煮えではと疑いながら、見よう見まねでご飯を口にして、最後には一滴の汁も残さず完食した。その時、高峰の頂に立った満足感があった。そして額からしたたり落ちる汗をぬぐうと、あたりを見渡す余裕が生まれる。この味噌煮込みうどんには名古屋の食文化がすべて凝縮されている。

 会社勤めをしていた頃は名古屋に出張に行くと、昼と夜と飽きることなく味噌煮込みうどんを食べていた。またフリーになって、絵の製作のために愛知県東岡崎の版画工房に一週間程滞在した時も、昼に夜にと、うどんと戦っていた。工房の主人は「驚きました。これほど好きだとは」と後退りをしていた。

 私は名古屋で生まれたが、四歳の時に両親と一緒に東京の中野区に引越しをしたので、名古屋の思い出も味も知らない。母親も八丁味噌を使った味噌汁を食卓に並べることはなかった。しかしあの味噌味は私を覚醒させた。

 この五十年間、アメリカのカントリー音楽一筋で、いつまでもバンドを組み、下手ながらスティールギターを弾いていた。年に一度、全国のスティールギター愛好者が、日本のテキサス、名古屋に重い楽器を手に集結する。
 昼はひつまぶし派と味噌煮込み派に分かれ食事を取るのだが、私は勿論味噌に走り、夜も「やっぱり名古屋はこれだよ」と唸り、名古屋で生まれたことを吹聴していた。

 名古屋駅で待ち合わせする時は、名鉄百貨店の一階エントランス前に立つナナちゃん人形を指定する。わかりやすいし、下からそっと見上げる楽しみもある。ナナちゃんの衣装はキラキラしていて、いつもときめく。

 名古屋駅付近の地下街には名古屋めしが大集結している。私の一押しはコメダ珈琲店のシロノワールである。温かいデニッシュパンの上にソフトクリームが乗り、甘いシロップをかける。口にすると、むすっとした親父も「なんか幸せってこれかな?」と自然に笑みが浮かんでくる。

 隣の岐阜県で出会った、郡上おどりが上手いあの人も、会えば味噌煮込みうどんで一杯であった。
 春になったら花粉が舞う。味噌煮込みうどんを食べて、汗と一緒に吹き飛ばそう。



【食べたり、書いたり、恋したり。】は、ほぼ隔週水曜日に掲載しとるで、楽しみに見たってちょ。
 

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。還暦後より中国語を学び続け、もはやライフワークでもある中国での放浪を綴った最新刊『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)が好評発売中。

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