新井由木子【まだたべ】vol.027 旅するパッドの巻

私も流れ星に祈ればよかった。“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がないイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。

 soso cafeでおむすびばあさん(まだたべvol.010参照)を始めてから半年目のある日、わたしは初めての遅刻をしました。
 布団の中でふと気がついた時には、もうsoso cafeにいなければならない時間だったのです。
 しかしわたしは、それからきっちり15分後にsoso cafeにいました。いつもなら起床から到着まで、かかる時間は20分。5分を節約するためにわたしが省いたのは、ブラジャーの装着でした。

 思春期を迎える頃、わたしはクラスの誰よりも発育が遅く、ブラデビューがなかなかできませんでした。当時は今より繊細な心を持っていましたから、思い悩み、胸が大きくなるよう、夜ごと流れ星に祈ったものでした。
 当時暮らしていた離島の夜空は澄んで美しく、祈りを捧げていると、さほど待たずとも必ず流れ星が見られるのです。
 寝室の障子を開けると、窓ガラスの向こうは真っ暗というより真っ黒な影になっている椿の原生林。その上には濃紺の夜空にグラニュー糖をまき散らしたような天の川がありました。
 手を組み合わせて見上げていると、5分も待たずにすうっと一筋の線を引いて流れる星。消えるまでに心の中で叫ぶように願い事を唱えます。
「峰不二子ちゃんのようになれますように!」
 毎晩3個の星が流れるまで待って、みっちり3回祈ってから眠っていたのでした。

 そのような環境で捧げる祈りは流石に叶うもので、中学入学の時はあんなになかった胸も、卒業の頃には、それはそれは立派に育ったのでした。
 今振り返ると大きな胸になって良かったことといえば、授乳の時に自在に方向が変えられ楽だったことがあり、悪かったことといえば重たいので非常に肩が凝ったことなどがありますが、とにもかくにもわたしはマイボインと一緒に仲良く人生を歩んで参りました。

 しかし、歳月はボインの上にも確実に流れ、ある日気がつくとあれほど張り詰めてパンパンだったボインは、まるでビニール袋に水を入れたような感触の、重たく垂れ下がった様相に変わりました(もうボインとは呼べないので『胸』に表記を戻します)。
 そんな現在の胸に着けるブラは、綺麗に見せるとか形を保つためのものではなく、単に胸がお腹にくっつかないよう、お肉の流れを堰き止めるダムの役割を果たすものです。最適のブラを探すこと数年。辿り着いたのはホックもワイヤーもついていない、大きな丸い輪になった一本の太いゴムバンドのようなブラです。着けた具合がとても良いのですが、ただこれを装着するのは体が太いために少し時間がかかるのでした。

 今日は上からいくか下からいくかと考えた後、下からなら両足を輪の真ん中に置き、お腹という大山をギュウギュウと通り越えて、胸まで辿り着かせます。上からなら、バンザイの形から胸という大山を通り越えた後少し戻し、上半身のお肉をタプンタプンとブラの中に収めます。上からいくか下からいくかの判断は、その日の気分によります。どちらがより効率的なのか、まだ答えが出ていないからです。何十回となく装着しているのに。

 長くなりましたが、以上が、わたしがその日にブラジャーを省略した理由です。とにかく、着けるのに時間がかかるのです。soso cafeで作業中には幸い誰にもブラをしていないことはバレなかったというか、指摘はされずに過ごせました。

 そんなことを、わたしは賄い中にカフェ コンバーションのアルバイトのアキさんに打ち明けました。
 心ない人は打ち明け話をすると鼻で笑ったりしますが、心ある人はお返しに同じくらいのレベルの自分の話をしてくれるものです。そしてアキさんは後者の人でした。

 お正月、アキさんは三重県へ嫁いだ娘さんの新居を訪ねて行ったそうなのですが、帰りの新幹線内で、朝に装着したブラジャーの嵩上げのパッドが片方だけ入っていないことに気がついたそうです。娘さんの家のどこかに落としたらしい。アキさんがパッドのことをたずねるべく娘さんに電話すると、
「あ、あれ、そうなのか」
 と、返事があったそうです。パッドってパッドだけで見ると、なんなのかわからないんですよね。ウチにも娘のパッドがたまに落ちていて、飼い猫が前足で遊んでいることがありますが、毎回
「これなんなんだろう?」
 と、思いますもの。
 アキさんは三重県から娘さんが里帰りしてくる時に、パッドを持ってくるように頼んだそうです。

 先日カフェ コンバーションにアキさんの娘さんがお茶にいらっしゃいましたが、わたしは、あ、パッドが帰ってきたな、と思いました。



(了)


【まだたべ】は、毎週木曜日に掲載します。
 

文・イラスト・写真:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。料理は上手ではないけれど、生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
Twitter:@pelekasbook

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