沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第29回『ちくわぶ』

ちくわぶ、あなたはお馴染みですか? 実は連載の担当者にとっては、長らく未知の食材でした。イラストレーター・沢野ひとしさんが“食”にまつわる思い出や発見を、文章とイラストで徒然に綴る連載です。沢野さんの新刊『中国銀河鉄道の旅』にも、中国での美味しいローカルフードが満載です。

 桜の咲く頃に、京都に出かけたくなる。山々に囲まれた町は、夕方になると底冷えがしてくる。四条通から鴨川沿いを団栗(だんぐり)橋のたもとまで歩くと、おでん屋・蛸長が見えてくる。明治15年からの老舗で、何を食べても上品で、いかにも京風の味に満足する。
 タコが名物だが、まずは京野菜から出発したい。フキ、大根、銀杏、湯葉、飛龍頭。錫(すず)製のちろりで温めた日本酒が、五臓六腑、さらにつま先にまで染み渡る。




 カウンター12席だけの店内なので、開店と同時にすぐにいっぱいになってしまう。完全禁煙、カード不可、予約不可と、昔気質にひたすらおでん一筋で勝負をしている。とはいっても気取りや妙な一見さんお断りの雰囲気は皆無で、旅人にも入りやすい。

 京都をいつも案内してくれるのは、昔からの知人ヤスさんで、聡明で美人、はんなりという言葉がぴったりの人である。
 逆にヤスさんを東京・浅草のおでん屋に誘ったことがある。どす黒いおでんの汁に眉をひそめ、恐る恐るさつま揚げやごぼう巻きに箸を伸ばしていた。

 そして事件が勃発した。おでんの四角い鍋を覗き込み「ちくわぶ」をついに発見したのだ。華やかなハンペン、こんにゃく、タコ、ちくわ、タマゴの近くに、そっと身を隠し、なるべく見つからないように息をこらしている物体を見つけてしまった。

 ヤスさんは
「これはお麩なんです? お餅なんです?」
 と尋ねてきた。味もないただの小麦粉でできた、ちくわに似た具材。
「うーん、餅でもない。説明しにくい」
 と逃げると、彼女は
「そんなんをおでんに入れたはんの。ありえへん」
 と両手を震わせた。他の練物類とくらべて、確かに自ら味を出す訳でもなく、ただ汁の中にひっそりと浸かり、さらにあまり煮込むとドロドロに溶けてしまう。

 店主は
「最後の締めに意外に人気があるんです」
 と言い、私とヤスさんは口にした。
「あら、意外においしいですね」
 大きな眼をくるくるさせた。
「友人の家族はおでんというと必ず二本入れます」
 とつい嬉しくなって言うと、彼女は沈黙してしまった。




 一説によると「ちくわぶ」は戦後の食料不足の時にちくわの代用品として作られたというが、今では代用品ではなく、立派に独立し、じわじわと関西方面にも侵出している。ちくわぶの底力とはいったいなんなのだろう?




【食べたり、書いたり、恋したり。】は、ほぼ隔週水曜日に掲載します。
 

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。還暦後より中国語を学び続け、もはやライフワークでもある中国での放浪を綴った最新刊『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)が好評発売中。

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