沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第30回『ねぎがそんなにうまいのか』

弱っている心と体を元気にするのは、ねぎ。中国でも美味しいねぎが助けてくれたようです。イラストレーター・沢野ひとしさんが“食”にまつわる思い出や発見を、文章とイラストで徒然に綴る連載です。沢野さんの新刊『中国銀河鉄道の旅』を読むと、中国の食事情がもっとわかります。


 今回の中国旅行は、山東省を儒学の聖地・曲阜(きょくふ)から始まり、青島(チンタオ)までバスでぐるりと五泊六日で回ってきた。いつものメンバー、定年後の中国歴史愛好家13名である。これまで西安、成都と同行してきた。油断ならないのが、年の割に全員、大酒飲みで、毎夜食卓にはビール、ワイン、白酒(パイチュウ)が乱立する。

 中国大陸は上海から北上するにつれて、寒さのために水田耕作が適さないので、米ではなく小麦などの粉食が多くなる。山東省の冬は寒さが厳しいので、料理も体を温める香味野菜のねぎ、ニンニク、ニラを多用し、調味はミソ、醤油(しょうゆ)、塩が中心となる。
 北京料理は山東料理が基本になっている。

 初日、ホテルの夕食にねぎが山盛りに出された。山東省の有名な煎餅(ジェンビン)である。とうもろこしの粉をクレープのように薄く焼き、それにねぎを挟み、ミソを付けて食べるのである。
「こんなもののどこが旨いのだ」と口にするまで小馬鹿にしていたが、見かけによらず単純にして飽きのこない味にいくらか感激した。

 出発直前まで義母の葬儀があり、いささか心身ともに疲れ、風邪気味で体調がすぐれなかった。
 このねぎ巻きを旅行中、薬の代わりに毎食時に食べていた。元気になるには、このねぎにすがるしかないと、ひたすら食べていた。

 孔子の廟(びょう)、お寺、中国を代表する山・泰山、博物館、美術館と、どこに行っても寒く、薄手のダウンを着てはいたが、体は芯まで冷え込んでいた。中国大陸の日中の温度差は半端ではない。

 頼りはねぎ巻きである。同行のおじさん達は私が山羊のようにねぎ巻きをパクつくのを見て、「こんなにおいしいものがあるのにね」と大きな回るテーブルの上の料理を指さして笑っていた。

 書を学ぶ人は虞世南(ぐせいなん)の温み豊かな気品ある書に憧れを持つ。『孔子廟堂碑(こうしびょうどうひ)』は虞世南の書として信頼のおける重要なものである。楷書造形の典型的な美しさがある。
 私は冷気を避けるマスクをして、体中からねぎの匂いを発散させながら、のびやかでおだやかな書を、じっといつまでも見つめていた。



【食べたり、書いたり、恋したり。】は、ほぼ隔週水曜日に掲載します。
 

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。還暦後より中国語を学び続け、もはやライフワークでもある中国での放浪を綴った最新刊『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)が好評発売中。

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