沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第31回『あの時のごぼう』

美味しくて、少しせつない。多くを語らないのに存在感がある。あなたはごぼうから何を学びますか? イラストレーター・沢野ひとしさんが“食”にまつわる思い出や発見を、文章とイラストで徒然に綴る連載です。沢野さんの新刊『中国銀河鉄道の旅』も、ちょっとせつない。

 ごぼうは寡黙である。人知れず土の中で、じっとなにかに耐えているようだ。極めてつつましく暮らしている野菜である。
 同じ根菜グループの仲間といえばれんこん、にんじんなどと極めて友達は少ない。アクが強いので、さっぱりと明るい洗練された料理には向いていない。
 だがしかし、ここ一番という時に存在感を出す。きんぴらごぼう、煮物、天ぷら、柳川鍋と他の野菜たちににらみを利かせる。

 東京の下町で柳川鍋を食べている時など、私はごぼうに思いを寄せ、ひととき幸せな気分になる。浅い鍋にささがきのごぼうを敷き詰め、背開きにしたドジョウを並べる。少し甘いたれがドジョウに合う。
 柳川鍋はワイワイと大人数で箸をのばすものではない。訳ありの二人が良い。年月を経た男女がなにも語らず早い夕方から淡々と酒を飲み交わし、二人で過ぎ去った隅田川の思い出を語るのも美しい。

 私は結婚して二年ほどしてから、東京都の都営住宅の抽選に当たった。それまで住んでいたアパートの1/10という安い家賃に妻と飛び上がって喜んだが、都下からの通勤は会社には遠く、不便な場所であった。ただ南側に広い庭があり、生まれたばかりの娘は私が作ったユリカゴの中でいつも眠っていた。
 庭では土を掘り返し、適当に植物の種を蒔き散らしていた。ある夏は庭中にヒマワリが咲きほこり、私の家だけ黄色一色に染まり、周りの住宅からは「あの家少し怪しくない?」といぶかられていた。
 食べる物も植えたが、手間暇をかける余裕がなかったからか、まともな収穫はなかった。六年ほど暮らし、さらに郊外に小さな新築を建てることになった。

 引っ越しの前に庭も少しは整備していくことになった。鍬(くわ)で妻が地面をならしていると、素っ頓狂な声を上げた。なんと数年前に植えたごぼうなのだ。引っ張っても根がしっかり張っていて、なかなか抜けない。悪戦苦闘して抜いたごぼうは、太さは娘の足と同じで、長さは背丈を超えていた。
 その夜は、掘ったごぼうにだいこん、コンニャクなどの煮物をじっくり作ったが、肉質はやわらかく、香りも高く、まさに年越しごぼう、堀川ごぼうそのものであった。
 ごぼうというと、妻と、この引っ越しの時の話題に必ずなるのであった。その頃が二人にとって一番幸せな時代であった。



【食べたり、書いたり、恋したり。】は、ほぼ隔週水曜日に掲載します。
 

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。還暦後より中国語を学び続け、もはやライフワークでもある中国での放浪を綴った最新刊『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)が好評発売中。

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