新井由木子【まだたべ】vol.036 映画会の猫の巻

いつだってかまってほしい。だって家族だもん。“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がないイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。

 楽しい時は瞬く間に過ぎ、苦痛の時間は瀕死のカタツムリのごとくノロノロジワジワと進む。誰にでも経験のあることですね。しかし、もっと強烈に感動したり呼吸も止まるほどに驚いたりする場面では、時間は止まったかのように、その一瞬ずつを切り取り、連続する精緻な絵のようにコマ送りで、その事実をありありとわたしたちに見せてくれるものです。

 さて、娘と猫2匹とわたしという、全員かわいいメンバーで構成された我が家のつつましい楽しみは、居間に集まって映画を観ることです。月に一度あるか無いかの映画会。食卓を移動したり、お菓子やお酒を並べたりと映画会の準備をしていると、猫たちもイソイソと集まってきます。そして映画の間中、空いている手で撫でろとか猫用のおもちゃを振り回せとか主張しながら、一緒の時間を楽しみます。

 と、ほっこりとしたようなことを書きましたが、そこで選ばれる映画はいつも、ホラーに激しく偏っています。
 黒目の無い女の人が物陰から覗いたり、スライムのまとわりついたギザギザの歯でかじられたり、束の間安堵する主人公の背後には必ず血まみれの刃物を持った殺人鬼がいる。現実にあったら卒倒ものの恐怖(というか、死)なのに、何故かやめられないホラー映画。
 もしかしたら脳の中の恐ろしさを感じる部分と快楽を感じる部分は隣り合っているのではないでしょうか。恐怖の震えが隣りの快楽部分も同時に刺激し、変な気持ち良さを醸し出すのかもしれません。
 また、猫というものはホラー映画観賞にはとても役に立つもので、これ以上怖くなったらチビってしまいそうな時は胸に抱けば心強いですし、布団に連れていけば恐怖の余韻もやわらぎます。




 さて、その日わたしたちの選んだのは『パンズ・ラビリンス』というダークファンタジーでした。ここから先は少しだけネタバレな部分があります。素晴らしい作品ゆえ、まだ観たことのない方は急いでご覧になってから先を読まれることをおすすめします。

 戦時下スペインでの残酷な日々の中、主人公の少女が垣間見るほの昏い異世界。地下の怪物は不気味で禍々しいのに強烈な魅力があり、目が離せません。昏い世界観を保ったまま物語は続いていきますが、エンディングにとてつもない感動が待っているであろうことは予感できました。力ある画面の持つ熱量なのでしょうか。そこに行き着く以前に電気のようなものが肌の表面を伝わり、鳥肌が立つのです。
 とうとう光り輝くエンディングへ突入したその時、わたしと娘は潤んだ目をまじろぎもさせず、鼻の奥をツンとさせている時特有の鼻の尖らせ方をし、眉を八の字に寄せ、口を半開きにしていました。

 ところで、わたしたちはあまりにも映画に夢中になっていたため、いつのまにか猫が2匹とも居間からいなくなっていたことに、気がつかなかったのです。

 ラスト3分前、まさに少女が光に包まれようとした、そのときのことです。
 居間の右手にある引き戸がスウッと開きました。目の端でそれを捉えたわたしと娘の頭上に、オヤッという文字の書かれた、小さな吹き出しがポヤンと浮かびます(ちなみにこの引き戸はとても軽く、猫でも簡単に開けられます)。
 切ない顔を保ったまま、わたしたちがゆっくりと引き戸の方に顔を向けると、開いた引き戸の隙間から太ったグレーの猫が、大きな弧を描きながら飛び出してきました。

 この時、わたしと娘の精神的な時間は、映画の途方もない感動のために止まりかけていました。画面から視線を移動してもその作用は続いているので、グレー猫の跳躍は動画のコマ送りのように、わたしたちの目に映りました。さらに、興奮のために瞳孔も最大限に開かれていたため、猫の毛並み一本ずつまでがはっきりと見え、それは精密に描かれた細密画の連続のようでした。

 真面目な顔をして宙に浮いているグレー猫の3コマ程後から、グレー猫の兄にあたる白猫の顔が戸の隙間から出てきます。その位置は猫の体高より遥かに高く、どうやら引き戸のかなり後ろから跳躍しているようです。こちらも、やはりコマ送りで弧を描きながら、グレー猫を追う形で部屋の中央まで躍り出てきます。

 それはまさに宙に浮かぶ2匹の猫!

 猫たちは部屋の中央でバウンドすると方向を変え、再び勢いよく引き戸の隙間に飛び込み、去って行きました。と同時に、引き戸の奥の棚に並んだ日本酒や焼酎の一升瓶が、猫によって一斉になぎ倒される音が聞こえました。
 その時、わたしたちの顔は、感動の切ない顔からハトが豆鉄砲を食らった顔へのモーフィング。やはり、ゆったりとしたコマ送りで変化していたことでしょう。

 一升瓶の倒れる激しい音に我に返って画面に視線を戻すと、すでにエンドロールが流れていました。
 その後、『パンズ・ラビリンス』のエンディング部分を見直すことはしませんでした。観るなら、もう一度最初からちゃんと観たいからです。

 わたしと娘は、猫たちはこの騒ぎをこのタイミングで『わざと』起こしたのだ、と思っています。


(了)


【まだたべ】は、毎週木曜日に掲載します。
 

文・イラスト・写真:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。料理は上手ではないけれど、生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
Twitter:@pelekasbook

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