沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第35回『最後の晩餐』

我が家の定番料理と言えば、何だろう? とつい考えてみたくなります。イラストレーター・沢野ひとしさんが“食”にまつわる思い出や発見を、文章とイラストで徒然に綴る連載です。『中国銀河鉄道の旅』がいくら楽しくても、帰るべき場所は我が家ですね。

 私の家の晩ごはんは変化に乏しい。先週の献立を振り返ってみる。餃子、アジの天ぷら、タラちり鍋、カレーライス、ショウガ焼き、鶏の唐揚げである。だいたいこの定番夕食が延々と何週間も、油断をすると何カ月もひたすら続く。
 月が地球の周りを回るように、地球が太陽の周りを回るように、誰もその動きを止めることはできない。いわんや小さな家庭の夕食など、銀河系宇宙の法則から離れていくことは不可能である。



「なんかこの夕食に飽きたな」と妻に言うと「じゃあ自分で作りなさい」と目が吊り上がる。
 学校の教師を長いことしていたので、手が込んだご馳走を作る余裕はなかった。深夜まで生徒の試験答案に取り組んでいる妻に「ホタテのクリームソースがけ」などと口にする勇気はない。そんなことを言えば、尖ったエンピツが飛んでくる。



 月に一度の割で、娘のところの男の子の双子が、お泊り会と称してやって来る。小学四年にもなるとすっかり背が伸び、食べ盛りで、なんにでも箸を出す。
 妻は双子がやって来ると、途端に表情が明るくなり、声が裏返るほど活気に満ちて餃子を作る。妻の餃子は、ニラ、タマネギに細かく切った春雨が入り、素朴なおいしさがある。しかし双子の家でも餃子人気が高く、かぶる時がある。
「昨日も餃子だった」と双子が言うと、妻は困った顔でオロオロして「鮭でも焼こうかな」と双子の顔色をうかがっている。
 私が「うちの餃子がうまいのを知っているだろう」と言うと「ママのほうがいい」と生意気なことを言う。娘は妻とは違って料理にレパートリーがあり、味も深い。双子はそれでもしぶしぶ妻の餃子を口にして「明日はお肉のグラタンがいいな」と勝手なことをつぶやいている。



 いくら繰り返しても飽きないものが、その家の定番料理になって落ち着いていくものだ。我が家の基礎は、信州味噌の具だくさんお汁、さらに季節の野菜の漬物と白いご飯である。
 最後の晩餐は、と訊かれたら、本心から妻の作るアジフライに豆腐の入ったナメコ汁に、酢で漬けたカブと答えるだろう。



 ある日、私の机の上に『一汁一菜でよいという提案』(土井善晴・グラフィック社)の本が置かれていた。
 その本には付箋が貼られている。そのページのタイトルは「家庭料理はおいしくなくてもいい」である。土井善晴さんは「上手でも下手でも、とにかくできることを一生懸命することがいちばんです」と家庭料理について語っている。
 妻はこの本を味方にして今後も生きのびていくつもりなのだ。妻の固い意志が本の置き方に感じられる。机のど真ん中に微調整して置かれ、あたかも怨念すら感じるような付箋であった。




【食べたり、書いたり、恋したり。】は、ほぼ隔週水曜日に掲載します。
 

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。還暦後より中国語を学び続け、もはやライフワークでもある中国での放浪を綴った最新刊『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)が好評発売中。

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