新井由木子【まだたべ】vol.047 草加の鉄道と稲荷寿司の巻

母になって初めてわかる、あの時の母の思い。“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がないイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。

 明治時代、草加には、線路上に客車を乗せ馬が引く『草加馬車鉄道』がありました。
 元々、千住から粕壁(春日部)までが繋がった千住馬車鉄道が、営業不振で廃線に追い込まれる中、草加の素封家たちが馬車鉄道を残すべく奮闘したのが『草加馬車鉄道』です。
 しかし、その前に立ちはだかったのは、東武鉄道の開通という時代の流れや、客車の修繕費および馬にかかる想定外の経費。奮闘も空しく短期間で消えてしまった『草加馬車鉄道』ですが、客足は十分にあり、市民に親しまれていた記録が残っています。
 現在、その微かな名残は、草加と谷塚の間にあります(谷塚高架下公園から少し谷塚寄り。歩道に踏切があるところに、線路が残っています)。お散歩のついでに、よかったらお立ち寄りください。

 さて、草加馬車鉄道の廃止から100年の時を経て、今から30年ほど前のこと。草加あたりを走る朝の東武鉄道は、馬車鉄道の頃からは想像できない程の、すさまじい混み具合でした。
 当時わたしは美大を軒並み落ちた後で、無謀にも自分で稼いだお金で進学しようと思い立ち、契約社員として働きながら絵の修業を(自己流で)しており、毎朝すし詰め状態の電車で通勤していました。

 フレックスタイムもまだない時代、朝のラッシュは避けようもありませんでした。
 駅員さんに無理やり車内に押し込まれると、押し込まれた形のまま、身動き一つできずに運ばれていきます。両脇の人に押されて浮き上がり、足が床についていないこともありました。
 また、あまりの圧迫のために、鞄に入れていたプラスチック製のお弁当箱が潰れたこともありました。人の間に挟まって引き寄せられなくなった傘の柄を、降車駅で思い切り引っ張ると、柄だけが取れてきたこともありました。

 そんな満員電車と一緒に思い出されるのは、母の稲荷寿司です。
 ある朝起きると、酢飯の甘い匂い、揚げを煮含めるお醤油と味醂の匂いが、立ち込めていました。台所に降りていくと、酢飯を団扇で扇(あお)ぐ母。そして見る間に出来上がった大量の稲荷寿司を、母はランドセル2個分くらいはある大振りの箱に詰め、更にそれを父の使っていた登山用リュックに入れ、
「会社の人に食べてもらいなさい」
 と言って、わたしに背負わせたのです。
 ただでさえギュウギュウの電車に、この荷物を持って乗るとは。わたしも大変でしたが、同じ車両に乗り合わせた人たちも、心の中では勘弁してくれと思ったはずです。
 車内の人々の顔を見ないようにしながら、草加から北千住、そして千代田線に乗り換えて代々木上原の会社にようやくたどり着くと、会社のみなさんはとても喜んで、会ったこともない母の稲荷寿司を残らず食べてくれました。

 母は稲荷寿司を仕上げるために、どれほど早起きしたのでしょうか。母自身も当時、教員として勤めていたので、その日もわたしの出た後すぐに出勤して終日働いたのは、楽ではなかったはずです。
 子どもに対しては、励ますよりも厳しい言葉のほうが多い母でしたが、大量の稲荷寿司は、娘をよろしくお願いしますという仕事先への心付けで、母なりの遠回しの応援だったのかもしれません。

 かくいう私も働く娘を持つ母になりました。研修中で都内の寮に入っている娘の助けになればと、店じまいをしてから急いで作った味噌汁を密閉容器に入れ、電車に乗って届けたのですが、翌朝、娘が食べようとすると、全て酸っぱくなっていたそうです。


(了)


【まだたべ】は、毎週木曜日に掲載します。
 

文・イラスト・写真:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。料理は上手ではないけれど、生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
Twitter:@pelekasbook

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