中澤日菜子【んまんま日記】#21 ジビエ

「お願いおねがいおむらいす~♪」中澤さんの新刊、もう読みましたか? 読んだら、読む前の自分をちょっと思い出してください。心が少なからず元気になっていることに気づくはずです。この連載では、母、妻、元編集者、劇作家という顔を持つ小説家であり、最新刊『お願いおむらいす』が好評発売中の中澤日菜子さんが、「んまんま」な日常を綴ります。
叔父の一周忌のため長野に行った。父、弟、それにわたしと夫の四人で行った。
長野は遠い。法事に遅れないよう、前泊して備えることにした。泊ったホテルはそれぞれ別だったが、夕飯をともにということになり、父の希望で「郷土料理居酒屋」を予約した。
こういってはなんだが、長野に美味しいものはあまりない。山深く、海もない土地なのでしかたがないのだが、それでも最近は「信州サーモン」だったり「信州新町特産ジンギスカン」だったりと、知恵と工夫を重ねて名物を生み出そうと努力している。さすが不屈の精神力を誇る長野県民、その姿勢はたいへん立派である。
訪れた郷土料理のお店も、蕎麦はもちろん蜂の子やきのこを用いた創作料理など、工夫を凝らしたメニューが並んでいた。
なかでも肉好きのわたしの目を引いたのがジビエ料理の数々である。
ジビエとは、ざっくり言えば野生の動物の肉のことだ。飼育されて供される牛や鶏とは異なり、狩猟によって得られるもの。野性味が売りの食材である。
山国・長野では、古くから猟師さんによってもたらされる野生の獣肉を食してきたという。このお店では、そういったさまざまなジビエを取り揃え、お客に出している。
メニューを見て驚いた。鹿、イノシシ、ウサギ、鴨。このあたりはよく東京でも目にする獣肉である。だがこのお店には雉、さらには熊の肉まで揃っている。食い意地の張ったわたしだが、さすがに雉、それに熊は食べたことがない。ここで食べ逃したら、雉はともかくとして、熊肉にはなかなかありつけないのではあるまいか。そう思い、「熊しゃぶ」をオーダーしてみた。
やがて出てきた「熊しゃぶ」は、一見すると牛の赤身を湯通ししたもののように見える。口に入れると、しっかりした歯ごたえとともに、やはり牛に似た味が広がる。
だが噛みしめると、なんというか――獣の匂いがするのである。臭みはなるたけ抑えてあるのだろうが、それでも立ちのぼる熊臭。なんとなく動物園を思いだす。いったいどこで獲れた熊なのだろう。好奇心が頭をもたげる。
「すみません。この熊、どこ産ですか?」
女性の店員さんに質問すると、とたん困り顔になってしまった。
「あの、ちょっと聞いてきますね」
厨房に走る店員さん。ややあって戻って来た彼女は胸を張ってこたえた。
「本州産だそうです」
本州産……いくらなんでも産地が広すぎやしないか? 普通スーパーで見かけるパック詰めの肉には「群馬県産」だったり「茨城県産」だったり書いてあるものだが……
とはいえ「国産」としか書いていない肉もスーパーでは売られているわけだから、本州産が産地として広すぎるということはないのかもしれない。逆に言えば、北海道、四国、九州・沖縄を抜かしてあるのだから、単なる国産よりも限定されていると考えることもできる。
というようなことを話していると、おもむろに父が言い出した。
「熊なんて簡単に獲れるものじゃあないだろう。きっとこの熊は養殖されたやつに違いない」
養殖……いくらなんでも無理じゃないか? 一度北海道で観光客向けのクマ牧場に行ったことがあるが、巨大な熊は見ているだけでも圧倒される生きもので、飼育はさぞや大変だろうと思わされたものだ。
その熊を養殖。ブリや鯛じゃないんだからと考えていると、横で夫がぼそりと言った。
「……そもそも熊の場合は、養殖じゃなくて放牧だと思いますよ、お父さん」
正鵠を射るとはまさにこのことであろう。
ともあれ、熊しゃぶは美味しくいただいた。信州サーモンも馬刺しも余すことなくたいらげた。
生きものの命をいただいて、わたしたちは生きている。
熊という、普段食べ慣れない肉を食したことで、改めてその思いを深くしたのである。
【今日のんまんま】
拙著新作『お願いおむらいす』のヒット祈願で夫が作ってくれたオムライス。「おねがい」の文字になんだか悲壮感が……でも、んまっ。
【んまんま日記】は、ほぼ隔週水曜日に掲載します。
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