沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第43回『葉山のふたり』

沢野さんのアトリエや下絵も覗いてみたくなります。イラストレーター・沢野ひとしさんが“食”にまつわる思い出や発見を、文章とイラストで徒然に綴る連載です。沢野さんが心を込めた絵本、月刊『たくさんのふしぎ』9月号「一郎くんの写真 日章旗の持ち主をさがして」(福音館書店)が発売中。さらにこの連載『食べたり、書いたり、恋したり。』電子書籍版が、Amazonほか主要電子書店にて絶賛発売中!
葉山の一色海岸に並んで神奈川県立近代美術館・葉山がある。辺りの海や林に溶け込むように、白い透明感のある建物が見える。
いつ訪れても、ここには心が和む空間が広がっている。中庭の芝に囲まれるように置かれたイサム・ノグチの彫刻も、何度見ても飽きることがない。
数年前に堀文子の回顧展が開催され、めずらしく二度も見に行った。
旅に出ると、どこに行っても美術館には足を運ぶが、特別熱心に絵を鑑賞したことはない。その理由は、絵から発せられる画家の熱量に、打ちのめされるからだ。
展示されている絵よりも、美術館の静まりかえった雰囲気に惹かれる。あるいは、ミュージアムショップを探索する。
近代美術館から少し丘の方角に登ると、日本画家の山口蓬春(ほうしゅん)の自宅を開放した記念館がある。訪れる度に、完成品の大きな絵より、下絵を食い入るように見てしまう。そして画家はこういう暮らしをしていたのかとしのびつつ、各部屋にそっと足を運ぶ。アトリエを覗くと、建築家・吉田五十八(いそや)の日本建築による、居心地の良い和の空間に溜め息が出る。
帰り道に、決まって立ち寄る喫茶店がある。
逗子海岸には、海を見ながら落ち着ける珈琲店がいくつかあるが、海岸通りは駐車場が少なく、夏など海水浴の客で大渋滞を起こし、地元のドライバーはしぶい顔をして嘆いている。
橋のたもとにあるその珈琲店は広い駐車場を確保しており、お勧めである。コーヒーで三時間は駐車代が無料なので、朝から常に賑わっている。
テラスに座ると海の向こうに富士山がドカンと見えて、思わず壮大な気分になってくる。
ある時、おしゃれをした熟年の男女がお互いに見つめあい、フルーツがたくさん乗ったパフェを食べていた。夫婦ではないと思ったのはその熱い眼差しである。
私はクリームあんみつは何度か食べたことがあるが、これまでにフルーツパフェを食べたことはない。あまりにも華やかで贅沢すぎて、気が引けていたのだ。ましてあれは若い女性の口にするものと断定していた。
いまいましい熟年の男女は、なにを話しあんなに微笑んでいるのか。よく見ると苺がアイスクリームの横で光っている。こちらは冷めたコーヒーを手に、なぜか嫉妬し、内心おだやかではなかった。
庭の方の窓の外を見ると、真っ赤なワーゲンが何度か切り返して停まった。サングラスをした紫色の長いスカートの女性が車を降りると、店の入口から小走りにやって来た。
「お久しぶりですね」と鎌倉から来た彼女はサングラスを手に、眩しそうに笑っていた。そしてメニューも見ずに、いきなり「そうだ、今日は苺ミルフィーユパフェにしよう」と言って、すっと手を上げ注文した。
「おじさんも食べたい」と思わず呟いた。
「そうしなさい。ここのフルーツは新鮮で有名なのよ。うふふ」
二つのフルーツパフェと青い海が重なり合っていた。
【食べたり、書いたり、恋したり。】は、ほぼ隔週水曜日に掲載します。
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