沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第4回『佐野洋子さんのイス』

生きるうえで食べることは不可欠ですが、人生はそれだけではありません。寝たり起きたり、仕事をしたり、人に会ったり、旅に出たり。ときには恋もすれば、辛い別れもあります。一見、食べることとは無縁でも、忘れかけていた人生の一場面が、舌の記憶とともに鮮やかに蘇ることもあるでしょう。この連載では、イラストレーター・沢野ひとしさんが、人生のさまざまな場面で遭遇した“食”にまつわる思い出や発見を、文章とイラストで徒然に綴ります。

 佐野洋子さんと親しくなったのは、彼女が多摩市連光寺に新築を建てた頃である。家の隣が桜ヶ丘公園で、春は花の雲が空一面に広がっている。
 私の住む町田から車で二十分の距離と近い。絵本の出版社こぐま社を退職してフリーになった四十歳の頃で、阿呆に付ける薬はなしといった状態で、毎日街や山で遊びまわっていた。

 洋子さんの家は山小屋のように至ってシンプルな造りで、私は友人を誘い酒ばかりごちそうになっていた。洋子さんは料理もとてもうまかった。しかしこれでは申し訳がないので、早目に行ってはガラス磨きや部屋の掃除を率先して手伝っていた。

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 ある日気になったのはネコが爪とぎをしたのか、籐のイスが大分傷んでいた。背や座がむしられていた。「これ直した方がいいですよ」と言うと、うーと腕組みしてうなっている。
 近くにあった電話帳で家具の直し・修理のページを探すと、府中街道沿いにあった。私が籐のイスでも平気ですか、と電話で訊ねると「任せておけ」と相手は頼もしい。
 すぐさま車にイスを載せて出発することにした。洋子さんは「あんたも役に立つことがあるんだね」と感心していた。

 一か月ほどしてイスは見事に直り、座の布も品のある濃紺になっていた。洋子さんに「あざやかなものになりました」と自慢すると、「このイスはあんたにあげる」「私は谷川俊太郎さんと結婚するので」と言った。噂は知っていたが、本当に結婚するとは驚きであった。三十年ほど前の1990年の頃であった。

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 洋子さんにもらった三脚のイスはあれから無事に我が家で働いている。籐のイスがいいのは軽くて丈夫なことである。イスは高さによって、微妙に座りごこちが変わる。私は仕事をしたり、お酒を飲んだりと、洋子さんのイスを今も愛用し、変えるつもりはない。
 洋子さんは八年前の冬に七十二歳ですーっと亡くなってしまった。月日の流れに深い悲しみと無常を感じる。



【食べたり、書いたり、恋したり。】は、ほぼ隔週水曜日に掲載します。
 

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。