沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第5回『すべての鍋よ、応答せよ』

生きるうえで食べることは不可欠ですが、人生はそれだけではありません。寝たり起きたり、仕事をしたり、人に会ったり、旅に出たり。ときには恋もすれば、辛い別れもあります。一見、食べることとは無縁でも、忘れかけていた人生の一場面が、舌の記憶とともに鮮やかに蘇ることもあるでしょう。この連載では、イラストレーター・沢野ひとしさんが、人生のさまざまな場面で遭遇した“食”にまつわる思い出や発見を、文章とイラストで徒然に綴ります。

 冬には鍋料理の人気が高い。湯豆腐、寄せ鍋、キムチ鍋と、毎日のように鍋が食卓に並ぶ。我が家ではこの数年みぞれ鍋の登場回数が多い。「霙(みぞれ)」は雨と雪がまじって降る。したがって大根おろしを大量に使う。雪見鍋は大根おろしが少量である。たいした違いはない。鍋料理に厳密さを求めても、煮たってしまうと結果として寄せ鍋にかぎりなく近づいてしまう。

 数年前までは大量の大根おろしを最初から鍋に入れていたが、少しずつ変化してきた。ただ一つ譲れないのは、みぞれ鍋は“白”で統一して欲しい、というところである。色の付いたものは唐辛子一本にとどめたい。

 とりあえず“シロモノ鍋”にするために、野菜類は、白菜、ねぎ、かぶ、もやし、れんこん、水菜、うど、セロリ、とうがん、たけのこと、季節に合わせ、そしてはるさめ、生湯葉も添えたい。肉類はタラの白身、鶏肉、カキなどと相性が良い。締めは、はかなげな素麺が良い。
 鍋の中は、朝方のみぞれのように淡く清らかにしたい。食べる時に大根おろしを豪快に惜しげもなく載せてハフハフする。幼児でも口の中を火傷することがないため、「おじいちゃんおいしいね」と孫からも尊敬される。

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 中国各地を旅行して、鍋料理も激辛の「四川火鍋」、羊のしゃぶしゃぶ「涮羊肉(シェアンヤンロウ)」、タイのトムヤムクンに似たすっぱく辛い川魚と野菜の「酸湯魚(スータンイー)」と貪ってきたが、やはり我々日本人の舌には刺激が強すぎるようで、上海などではいつの間にか日本料理屋のフグ鍋で和んでしまう。

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 鍋料理にもいくつか約束ごとがある。たとえば同じ火加減で煮てしまっては、味の良いも悪いもなくなる。鍋の中をかきまわしてにごらせない。大事なのは偉そうに鍋についての講釈をたれない。

 私は妻と二人きりで鍋を囲むのが辛い。こちらは酒を飲んでいるので、ゆるやかに進行していきたいが、妻は手元にある野菜を一山ずつ掴み、なんのためらいもなく鍋に投入していく。我慢しながら沈黙した時が流れていく。
 鍋のことで妻に不愉快な思いをさせたくない。老後になっても食べられるのは、消化の良いみぞれ鍋と、最近大発見をした。



【食べたり、書いたり、恋したり。】は、ほぼ隔週水曜日に掲載します。
 

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。