沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第9回『餃子を訪ねて三千里』

生きるうえで食べることは不可欠ですが、人生はそれだけではありません。寝たり起きたり、仕事をしたり、人に会ったり、旅に出たり。ときには恋もすれば、辛い別れもあります。一見、食べることとは無縁でも、忘れかけていた人生の一場面が、舌の記憶とともに鮮やかに蘇ることもあるでしょう。この連載では、イラストレーター・沢野ひとしさんが、人生のさまざまな場面で遭遇した“食”にまつわる思い出や発見を、文章とイラストで徒然に綴ります。

「母親の餃子が一番」。
 そう断言する中国人の友人に出会った。ならばそれを食べてみたい。

 中国のもっとも北の黒竜江省、竜江という小さな駅に降りて、友人の故郷を二年前の夏に訪ねた。トウモロコシ畑が一面に広がり、抜けるような透明感のある青空が出迎えてくれた。

 中国人は「南米北麺」という食文化を表わす言葉をよく口にする。南の人は米飯を主食にし、北は小麦粉やトウモロコシなどの粉物が中心となる。したがって北方の食堂に入ると、中国の蒸しパン、饅頭や麺類、そして茹でた熱々の餃子を頬張っている人が多い。


 農家の台所では、餃子作りで母親が奮闘中だ。羊肉を細かく切って、包丁で叩き、ボールに入れ、肉に醤油をしみ込ませている。
 日本では餃子というと、ニラ、ネギ、白菜などが中心だが、現地ではその季節の野菜が中心となる。インゲン、アスパラ、セロリ、レンコン、キュウリ、ナス、トマト、クレソンと自家製の野菜を選ぶ。さらに卵に桜エビに油揚げと芸が細かい。
 どの野菜にも塩を少し振り、しばらく置いて水気をしっかり絞っている。ニンニクは各野菜の味が同じになってしまうので、絶対に混ぜない。

 勿論生地も手作りである。小麦粉に少量の他の穀物粉を入れ、混ぜ合わせ、叩き、のばし、もんで、30分ばかり寝かせる。
 餡を包むのを見ると、日本の焼き餃子よりも形が大きい。餃子は皮が主食で餡がおかずというのが基本である。日本風の焼いた餃子は鍋貼(グオティエ)といい、小振りにする。油のために胸焼けがするのであまりたくさん食べられないからだ。

 大鍋にたっぷりの湯が沸騰している。皮がふっくらとして浮かんできたら、おわんに次々と移していく。自家製のうす味のラー油に黒酢、醤油を入れた小皿に餃子をそっと付けて口にする。





 野菜のしゃきしゃき感、新鮮な香りが口いっぱいに充満して、思わず「好吃」と叫ぶ。採り立ての野菜がこんなにおいしいとは驚きである。肉汁と共に野菜の香りを皮で閉じ込めている。これが本場の餃子の特長である。

 そして皿の横にある生のニンニクをそっとかじってみた。なんと甘い。山野に自生しているあさつきと同じ味がした。ニンニクがこんなに上品なものとはと、はじめて気が付いた。

 箸休めのためにと思い、トマトと卵の餃子に手を伸ばした。これは黒酢で食べる。
「うーん」。
 そのおいしさにしばらく思考が停まり沈黙していた。






【食べたり、書いたり、恋したり。】は、ほぼ隔週水曜日に掲載します。
 

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。