沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第12回『八丈島の青トウガラシ』

生きるうえで食べることは不可欠ですが、人生はそれだけではありません。寝たり起きたり、仕事をしたり、人に会ったり、旅に出たり。ときには恋もすれば、辛い別れもあります。一見、食べることとは無縁でも、忘れかけていた人生の一場面が、舌の記憶とともに鮮やかに蘇ることもあるでしょう。この連載では、イラストレーター・沢野ひとしさんが、人生のさまざまな場面で遭遇した“食”にまつわる思い出や発見を、文章とイラストで徒然に綴ります。


 何度も呆れるほど通った島は八丈島である。道端にハイビスカスやストレチアの花が咲く南国の気候に魅了された。三十代から四十代にかけて、夏になると恒例のように仲間と島で戯れていた。

 いつも中之郷の民宿に泊まり、藍ヶ江の海で泳いでいた。「藍より出でて藍より青し」の名前のとおり、よりいっそう濃い青色の海の色であった。八丈島の海岸線はほとんどが荒々しく岩に囲まれ、海水浴にはあまり適していない。

 合宿をしながらスキューバダイビングの資格を取ったのも八丈島であった。黒潮の影響か遠目に見ると海は紺色をしているが、水の中に入るとその透明感に驚かされた。


 雨の日は南国情緒いっぱいの植物公園、民俗資料館、くさや工場見学、温泉めぐりと退屈することはない。夕暮れになれば歌や踊りの大宴会を民宿の庭で繰り広げていた。

 民宿の主人が焚き火を前に、八丈島太鼓を叩き、刺身やくさやで島酒を飲み、毎度大笑いをしていた。だが油断してはならないのが、刺身に添えられた小さな青トウガラシである。これは身に危険が迫る辛さで、酔っても決して口にしなかった。

 小粒の青トウガラシは沖縄から渡ってきたと主人は言う。「これが無いと食が進まなくて」とおだやかに笑う。

 ある朝ずらりと並んだお膳に、青色の佃煮の小皿があった。何気なく白い御飯にのせて口にすると、甘いピリ辛の味で「?」と箸が止まった。宿の奥さんと目が合った。
「青トウガラシよ」
「う、うまい」
あの激辛の青トウガラシも煮詰めることによって、舌を刺す辛さが緩和されたのだ。
「これは食が進む。……うまい」

 作り方は葉っぱも適当に入れるのがコツだそうだ。帰る時に大きなビニール袋に青トウガラシを葉ごと押し込んでもらった。そして家に帰り、早速島酒もたっぷりと入れ、じっくり煮込んだ。夜食に口にしたが、残念ながらあの感動的なうまさはよみがえってこなかった。

 島酒やくさやも、あの南の風に吹かれ、縁側で口にするから体が喜ぶのだ。その土地の風土が作りだした味は、やはりそこに行かなければ味わえない。旅とはそういうものだと痛感した。


【食べたり、書いたり、恋したり。】は、ほぼ隔週水曜日に掲載します。
 

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。

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