沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第16回『娘の黒糖、母の花林糖』

生きるうえで食べることは不可欠ですが、人生はそれだけではありません。寝たり起きたり、仕事をしたり、人に会ったり、旅に出たり。ときには恋もすれば、辛い別れもあります。一見、食べることとは無縁でも、忘れかけていた人生の一場面が、舌の記憶とともに鮮やかに蘇ることもあるでしょう。この連載では、イラストレーター・沢野ひとしさんが、人生のさまざまな場面で遭遇した“食”にまつわる思い出や発見を、文章とイラストで徒然に綴ります。
二十数年前、娘は奄美諸島の徳之島に一年ほど滞在をしていたことがある。村の食堂で働き、気ままな一人暮らしであった。村の片隅のサトウキビ畑に囲まれた小さな小屋で寝泊りをしていた。
我が家には黒いラブラドール・レトリーバーがいたが、娘は「会いたい」とよく電話をしてきた。そこで妻と犬と“三人”で夏休みに飛行機に乗って徳之島を訪れた。
空港の出口で娘は手を振って立っていたが、犬はよほど嬉しいのかリードをぐいぐい引っ張り、娘に飛びついてちぎれんばかりに尻尾を震わせていた。
予約していた民宿に着くと、卓袱台に黒糖とお茶が用意されていた。口にすると母親が作ってくれた懐かしい花林糖の味がよみがえった。「この島が長寿なのは、黒糖と野菜の力」と娘は言った。
三人で海に入ると犬は波打ち際で右往左往していたが、娘が大声で名を呼ぶと犬掻きをしながら娘に近づき、二人して遠くまで泳いでいった。他に人影もない海の空には入道雲が重なるようにできていた。
娘の案内でサトウキビ畑を散歩すると、甘くけだるい南国の匂いがした。サトウキビの栽培地によって、微妙に黒糖の色が違うという。どこまでも緑一面の畑が続き、透明な青い空が切ない。
黒糖のいいところは食べ終ると甘さがすっと消え、いつまでも口の中に残らないことだ。自然の純粋な味が嬉しい。
私が小学生の頃に母は暇があると小麦粉を練り、油で揚げ、熱した黒糖の中に入れて、花林糖を作ってくれた。まだ温かい花林糖は頬っぺたが落ちそうなくらい美味しかった。
洋裁店を営んでいた母は朝から深夜まで働いていたが、午後三時になると、お汁粉などいろいろなおやつを作ってくれた。
帰りの空港で、娘は黒糖の袋をいくつか買ってくれた。元気そうに見える娘だが、なにかの拍子に、一気に体調を崩す時がある。
「じゃ帰るからね」と言い小遣いを渡すと「お父さんは犬の世話をちゃんとしてね」と言った。賢い犬は娘との別れに気が付き、しきりにクンクンと鳴き声をあげ娘から離れようとしなかった。
ふと民宿の庭にヤツガシラがいた事を思い出して「あんな鳥は初めて見た」と言うと、娘は「ふーんそんなの知らない」と最後はつれない返事であった。
【食べたり、書いたり、恋したり。】は、ほぼ隔週水曜日に掲載します。