新井由木子【まだたべ】vol.006 映画館のポップコーンの巻

何十年と生きていたって、世の中にはまだ食べたことのないものが溢れています。隣の家では毎日のように食卓に並んでいるのに、我が家では見たことも聞いたこともない、なんていう食べものもあるかもしれません。この連載では、そんな“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がない、というイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。

 トム・クルーズがスタントマンなしで活躍する、あの有名なシリーズもののスパイ映画が大好きです。しかも映画館で観ると、更にとんでもなく面白いということを、娘に連れて行かれて知りました。
 最初に観たのは忘れもしない、トムがクレムリンに潜入したり、憎たらしい女のコロシヤとかが出てくる4作目でした。トムがロープにぶら下がって、ドバイの街にそそり立つ超高層タワーの周りを走るのが、もう、こわくてこわくてこわ面白くて、息が止まりそうでした。

 その時は映画館の後ろの席に、このシリーズを恒例で観にいらっしゃるのでしょう、お父さんお母さんと数人の子どもたちのご家族がずらりと並んで、ポップコーンを用意したり談笑したりしていました。映画が始まると「おおー!」とか「ねー!」とか、すごく面白いということをご家族で共有する声が、ほんの少しだけ気になりました。

 なので映画が終わってから、わたしはつい娘に
「後ろの家族うるさかったね」
と言ったのです。
 苦情というほどでもありません。映画館はみんなの場所ですし、ポップコーンの回し食べだって楽しみの一つです。ただ、わたしは息が止まりそうになるほど緊張して観ているのに、後ろはくつろいで楽しんでいたということを、ほんの少し言いたかっただけなのです。

 わたしはトムの映画を映画館で観たのも初めてでしたし、娘に誘ってもらったのも嬉しかったし、心はルンルンしていて『ね! あんなにくつろいで観る余裕が無いほど、スリリングで面白かったよね!』と、娘との会話が続くことを想像していたのです。

 しかしそのわたしの気持ちは『後ろの家族うるさかったね』の『ね』が発せられる前に、
「ママの鼻息のほうが、よっぽどうるさかった!!」
という娘の一言でぶった切られました。
「ガーーン!」
「もう、いつ言おうかと思ってたんだよ!」

 人のヒソヒソ話よりうるさい鼻息って、相当なものだったのでしょうね。自分でも聞いてみたかった。やはりあのブルジュ・ハリファのシーンでの鼻息が一番すごかったそうです。
 でも、いいじゃんか。映画館って迫力があって楽しいってことで、そんな鼻息を出させるトムの映画が素晴らしいってことで。トムもさぞかし喜ぶと思います。

 その次のシリーズが公開された時も、また娘に誘われて行きましたが、思い切り鼻息を出せるようにスポーツタオルをやわらかく鼻にあてて消音しながら鑑賞しました。そしてつい先日、最新のヤツを娘と4Dで観ましたが、どういうことになったかは皆さまのご想像にお任せします。



(了)

【まだたべ】は、毎週木曜日に掲載します。
 

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。料理は上手ではないけれど、生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
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Twitter:@pelekasbook

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