新井由木子【まだたべ】vol.007 神様を食べた話(上)

何十年と生きていたって、世の中にはまだ食べたことのないものが溢れています。隣の家では毎日のように食卓に並んでいるのに、我が家では見たことも聞いたこともない、なんていう食べものもあるかもしれません。この連載では、そんな“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がない、というイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。

 それが生きているうちに食べさせたいから本日集合と、急遽ONU氏から連絡が入りました。
 本屋を閉めてから待ち合わせ場所の公園に向かうと、薄暗がりの中に、高度技術職の立派な勤め人にはとても見えない、どこか深い森で通貨を介さない食べ物で生活を賄っていそうなONU氏が、小ぶりのリュックサックを背負ってニコニコと待っていました。

 ONU氏の名誉のために言っておくと、氏がわたしの目にそんな風に映るのは、彼は家族キャンプが趣味で、顔が真っ黒に日焼けしていることだけでなく、高度技術職として働く派遣先で、必ず何かしら野生のものを収集したり生け捕ったりして食べていることを、わたしが知っているせいだと思います。そういうことを知らなければ、ハットを被り銀のリングをしたおしゃれな人、としか見えないでしょう。



 さて、二人で公園の東屋に向かい合って座ると、ONU氏はリュックからおもむろに子どもの拳ほどの小さな房を取り出しました。房には美しい白い綿毛を被った部屋と、艶やかな白い実を詰めた部屋がいくつも密集して並んでいました。その艶やかな白い実は、蜜をはちきれそうにたっぷりと包んで、ふるふると震えています。

 ONU氏はキャンプ用の見事な真鍮でできたカップとテキーラの瓶をリュックから取り出し、カップの底から5mmほどテキーラを注ぎました。次に、房からその艶やかな実を箸でつまんでカップに入れると、乳白色だった実は少しだけ細く形を変えながら透明になります。

「さあ、お食べなさい」

 ONU氏が満面の笑みで言うのですが勇気が出ません。何度も箸でつまんでは唇で透明な実の感触を確かめるものの、その先に行けません。これは実なのよ、生き物ではないの、と必死で自分の意識をぼやかします。

『ほら見てごらん、大丈夫だよ』という優しさをペッタリと顔に貼り付けて、ぱくり、と実を食べてみせるONU氏に向かって、わたしは口には出しませんでしたが、『原始人のようなあなたが食べても全然励ましにならない、人間の種類が違いすぎる』と激しく思っていました。

 ふと見ると房の中で白い実が震えています。唇に触れているのがそれだと思った瞬間に心の掛け金が外れ、ぼやかしていた意識の焦点が、一瞬にして実の正体に合ってしまい、わたしは「ギャー」と叫びました。夜の公園にもう若くない女のしゃがれた悲鳴が響き、ONU氏がびっくりした顔をします。

 今、わたしがあなたにびっくりさせられているのであって、あなたがびっくりするんじゃねえよ! わたしは重ねて氏を心の中でディスりました。

 なんのことかさっぱりわからないと思いますが、後半に続きます。

後半へ続く

【まだたべ】は、毎週木曜日に掲載します。
 

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。料理は上手ではないけれど、生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
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Twitter:@pelekasbook

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