新井由木子【まだたべ】vol.014 食べ歩けなかったものの巻

何十年と生きていたって、世の中にはまだ食べたことのないものが溢れています。隣の家では毎日のように食卓に並んでいるのに、我が家では見たことも聞いたこともない、なんていう食べものもあるかもしれません。この連載では、そんな“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がない、というイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。

 ペレカスブックの閉店作業を終えて、その帰り道のことです。
 自転車で走っていると、うら若い女性が何か棒のような細長いものを持って信号待ちしているのが、前方の交差点に見えました。その長いものは午後8時の暗さの中でシルエットとなって、何なのかわかりません。お内裏様が笏(しゃく)を持つように、あるいは長いマイクを持つように、それは女性の口元に向かって長く伸びていました。
 信号が変わり歩き出すのと同時に、彼女はその長いものにパクリとかぶりつきました。パクパクと食(は)むたびに、棒が少しずつ短くなるようです。横断歩道を渡り反対側の道を歩いて、わたしの視界から消えるまで、彼女はずっとパクついていました。歩いている間だけ食べる。まさに正式な食べ歩きです。

 その長いものが何だったのかは、とうとうわかりませんでした。
胸の前で手に持っても、口まで届く長い棒。一定の太さがあるので串ものではない。また真っすぐに立っていたことから海苔巻きのように重みのあるものでもない。パンであの長さなら曲がるだろうし、硬いパンにしては食べるスピードが早かった。もしかしたら麩菓子でしょうか?
 なんにしろ、もう大人と言って良い女性がせわしげに、そして美味しげに、パクパク食べながら歩く様子は、とても可愛かった。
 お行儀が悪いという人もいますが、わたしは食べ歩きが好きです。

※【まだたべ】は、【思いつき書店】として世界文化社公式noteに移転しました。
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文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。料理は上手ではないけれど、生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
ブログ「Pelekas Books&Gallery&Bar」https://pelekas.exblog.jp
Twitter:@pelekasbook

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