沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第21回『素うどん』

生きるうえで食べることは不可欠ですが、人生はそれだけではありません。寝たり起きたり、仕事をしたり、人に会ったり、旅に出たり。ときには恋もすれば、辛い別れもあります。一見、食べることとは無縁でも、忘れかけていた人生の一場面が、舌の記憶とともに鮮やかに蘇ることもあるでしょう。この連載では、イラストレーター・沢野ひとしさんが、人生のさまざまな場面で遭遇した“食”にまつわる思い出や発見を、文章とイラストで徒然に綴ります。

 お化粧をしない「素の人」が好きである。ありのままに飾らない人。こういうタイプは公務員や教員に多い気がする。さっぱりとしているが、見かけによらず頑固で、自分の意見を曲げない。いつまでも根に持つところがあったりもする。
 素の人は服装がシンプルで、夏は白い木綿のシャツに洗いざらしのチノパン、冬は黒いセーターに黒いダウンが定番と、分かりやすい。


 素の人が多い県は断然香川県だと思う。一日に一食は素うどんを食べないと生きていけないと本気で思い込んでいる県民も多い。私は学生時代にアルバイトで香川県琴平町に二週間ほど滞在したことがある。日中はこんぴらさん(金刀比羅宮)が鎮座する象頭山の頂上の電波塔で働いていた。その時の現地の人々のうどんに対する情熱にはたじろぐものがあった。
 うどんに油あげ、玉子、天ぷらなどをのせる食べ方は邪道と言われ、釜あげうどんのみ、すなわち素うどん一本勝負で挑んでいた。
 カウンターの横にある、ネギ、天かす、唐辛子の入れ方も流れのリズムに合わせて素早く入れないと、後に並んだ者から舌打ちをされる。


 町の人々は、郵便ポストの前の製麺場のうどんこそが讃岐の味だ、いや川を越えた所のおばちゃんの店だと、口角泡を飛ばしうどん談義を毎日繰り返していた。
 素うどん、ぶっかけうどんの本質はコシが命だ、いやタレ汁だと、さらにヒートアップすることも日常茶飯事であった。そして声を合わせ、香川こそうどんの生命線だ。だからうどんだけは譲れないと目が血走るありさまだ。
 素うどんに力を注ぎすぎたためか言動や物事に淡白な素の人も多い。うどん以外に興味を持たない人は目が薄味のタレ汁のごとく比較的トロンとしているのですぐに分かった。


 私の女友達の一人に素そのものの人がいた。二十数年ずっと素の人だと思っていた。どちらかというと地味で結婚相手の男性も素うどん風の人であった。芸能イベント会社に勤めていて裏方のせいか、知らぬ間に地味になっていくのかも知れない。
 ある日神楽坂のライブ会場で偶然彼女に出会った。素の人がなんと、薄いお化粧に強めの香水、麻の上衣(うわぎ)に紫色の長いスカートとおめかしをしているのだ。なにかすごく艶やかで色っぽい。しかも一人で来ているところもミステリアスであった。


 ライブが終了して最寄りの地下鉄の駅まで一緒に帰る途中「うどんのおいしい店がある」と誘うと「おうどんね」と頷いた。
 店で席に着いた時、「素うどんを注文すればいいのに」と内心思っていたのだが、彼女は淡々と「かき揚うどんにします」と言った。私は「タヌキうどん」にした。




【食べたり、書いたり、恋したり。】は、ほぼ隔週水曜日に掲載します。
 

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。

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