新井由木子【まだたべ】vol.016 海を越えてきた芋たちの巻

何十年と生きていたって、世の中にはまだ食べたことのないものが溢れています。隣の家では毎日のように食卓に並んでいるのに、我が家では見たことも聞いたこともない、なんていう食べものもあるかもしれません。この連載では、そんな“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がない、というイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。

 今年もまた、母の丹精した畑からアメリカ芋が送られてきました。
 これは薩摩芋の一種で品種名は『七福』。私の故郷式根島と新島でよく作られていて、全国でもこの二島でだけ『アメリカ芋』と呼ばれています。
 皮も実も白く紡錘形で、熱を加えると中身が黄色に変わります。送られてきたものは、まだ収穫したてなので甘みは少ないですが滋味があり、しっかりした食べ心地。バターをつけたら、たまらん!
 更にこの芋はしばらく貯蔵しておくと砂糖のようにしっとりと甘くなります。焼き芋にすれば、それはそれはトロトロ甘々のケーキのような夢みる美味しさになるのです。

 伊豆諸島と薩摩芋との縁はとても深いことを、わたしは最近になって知りました。
『伊豆諸島東京移管百年史』によると、大岡越前守に見出された青木昆陽が、八代将軍徳川吉宗により「薩摩芋御用掛」に任命され、小石川養生所で試作した最初の芋種を伊豆諸島の飢餓対策のために広めたのです。
 加藤剛が! ……いやいや、あの大岡越前守が! 学校の勉強は苦手だけれどドラマは好きなわたしの脳裏には俳優加藤剛の姿で現れてしまうのですが、あの大岡越前守が島に関わっていたというのは、わたしの心を大変湧き立たせる史実なのでした。

 ここから先の情報は『いも類振興会』様に教えていただきました。
 青木昆陽が伊豆諸島に広めた芋は『赤芋』だったそうです。芋は島民の生活を救い、それ以降様々な芋が島にやってきましたが、新島や式根島に根付いたのがこの『アメリカ芋』だったのです。新島・式根島は抗火石という空気を含んだガラス質の地質です。島の砂浜が白く美しいのも抗火石が砕けて砂になっているせいですが、ガラス質なだけに水分や養分を溜められないという特徴があります。そんな土地を好むのがこの『アメリカ芋』だったのです。
 いきなり電話したにもかかわらず、驚くべきことにその電話口ですぐにアメリカ芋のことを教えてくださった『いも類振興会』様は生き字引だと思いました。ありがとうございます!

 ところで昨年のことですが、母から『アメリカ芋』が届いたのでお礼の電話をかけたのです。
「美味しかった! 今までで一番美味しかった!!」
 わたしは全力で褒めました。
 母が丹精をこらして作る芋はいつも本当に美味しいのですが、畑をやっている苦労も知っているし、年を追うごとに更に美味しくなっているという気持ちを込めたくて、『今までで一番』と言ったのです。
「ふーん……」
 電話の向こうで母の顔がサッと曇ったようなのが、声の調子でわかりました。
「今年はね……芋を作らなくてね……農協で買った芋を送ったんだよ……」
 ガーーーン!!
 褒めるつもりが、母の長年の努力を全否定する結果に。母もがっかりしたと思いますが、わたしもその場にガックリと膝をつきたい気持ちでした。

 今年は
「これ、ウチの芋?」
 とまず訊いてから、ちゃんと感想を言いました。美味しい美味しい美味しいアメリカ芋でした。


(了)



参考文献:『伊豆諸島東京移管百年史』(ぎょうせい)
『新島流人史』前田明永著(ぎょうせい)
『いも類振興情報no.124』(一般財団法人いも類振興会)


【まだたべ】は、毎週木曜日に掲載します。
 

文・イラスト・写真:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。料理は上手ではないけれど、生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
Twitter:@pelekasbook

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