沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第23回『旅は日帰りが楽しい』

生きるうえで食べることは不可欠ですが、人生はそれだけではありません。寝たり起きたり、仕事をしたり、人に会ったり、旅に出たり。ときには恋もすれば、辛い別れもあります。一見、食べることとは無縁でも、忘れかけていた人生の一場面が、舌の記憶とともに鮮やかに蘇ることもあるでしょう。この連載では、イラストレーター・沢野ひとしさんが、人生のさまざまな場面で遭遇した“食”にまつわる思い出や発見を、文章とイラストで徒然に綴ります。

 歳を重ねるにつれて、旅がおっくうになってくる。宿泊や荷物の手間を考えると「またの機会にしようかな」と消極的になる。しかし日帰りの旅ならば「思い立ったが吉日」と気分も明るく、お気に入りのカバンを肩に軽やかに出発できる。
 私のおきまりの日帰りコースは、以前に一、二度出向いた場所が多い。たとえば鎌倉、大磯、小田原、甲府など山や海が見え、しかも古い家屋が残っている町が望ましい。さらに欲深く言えば、美術館、お城もあれば胸踊る。
 列車や新幹線を使えば京都、名古屋、掛川、あるいは高崎、上田、長野と遠出も負担にならない。早朝に家を出ればその土地の風土を充分に味わえる。車を使用しないことにしているのは、帰りに居眠りができないからだ。

 日帰りの旅はいつも一人である。一人の旅は自分自身を見つめる旅でもある。列車の窓からの景色を見つめながら、これまでの後悔ばかりの人生や旅を思い出す。逆に、恋人と一緒に行った秋の旅、仲間との春スキー、家族とのお正月の海外旅行と、明るく楽しい記憶を辿ることもある。旅をしながら旅を回想する。これが一人旅の神髄ともいえよう。

 日帰りの旅はあるがまま、流れる雲のようにただ歩く。旅先に過剰な期待をしない。偶然に素敵な人と知り合う、ふとしたきっかけでアドレスを交換する、初めて入った居酒屋やカフェに感激、こういった出来事は皆無に等しい。

 日帰りの旅はその土地と濃密に付き合う必要はない。淡々と町中を歩いているだけで良い。
 私は帰りの際に駅前の立ち飲みや、角(かく)打ち(酒店の一角)で軽く一杯飲んで帰るのが習慣になっている。これが老舗の料亭やレストランに一人で入るとなると、身の置きどころがなく悲惨な時間を過ごす破目になったりする。

 一人旅は町に紛れ溶けこんで、浪人気分になれる。日帰りの旅の原点は、冬の夕暮れ時のように、ほんのりした寂しさが大切である。





【食べたり、書いたり、恋したり。】は、ほぼ隔週水曜日に掲載します。
 

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。

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