沢野ひとし【食べたり、書いたり、恋したり。】第25回『高菜が大好』

冷蔵庫の中の高菜から、想いは悠久の山並みへ。イラストレーター・沢野ひとしさんが“食”にまつわる思い出や発見を、文章とイラストで徒然に綴る連載です。


 高菜の漬物が好物である。白いご飯や、ラーメンに、葉を広げておにぎりにと、冷蔵庫の中には常に高菜が待機している。
 上海の定宿にしているホテルの朝食には、いつも高菜があった。ウエートレスに「おいしい」と言うと、雪菜(シュエツァイ)と教えられた。
 そのホテルは五つ星には届かないが、朝食バイキングが充実していた。手作りの麺、卵料理、アツアツのマントー(中国の蒸しパン)、薄く焼いた大餅(ターピン。ピンとは小麦粉をこねて丸く平らにし、火を通した食品)などを、客の目の前ですばやく作ってくれる。

 私は雪菜をどの料理にも少しずつ入れて満足していた。レストランの中は朝日が差し込み明るいのに、煌々(こうこう)とシャンデリアが光り輝いているのがいつも気になっていた。
 旅行に出た時は、朝食は満腹になるまで食べる。ホテルを出ると一日歩き回り、時間が惜しいので昼食は抜くことにしている。


 旅先で台所道具などを覗いていくと、その町の暮らしが見えてくる。金物や大工道具が並ぶ商店の前には決まってイスがいくつも置いてあり、適当に座っても邪険にされることはない。
 店頭で眺めていると、小麦粉をのばす麺棒の大小や長短、その種類の多さに「さすが粉文化の国」と思うが、麺棒が安いからといって買って帰ると、「もう家には三本もあるからいらない」と妻に頭をコツンとされる。今回も店先で見るだけにする。

 ところで榨菜(ザーサイ)は四川省の特産と知った。変種のカラシナの茎の肥大部を塩漬けにしたものである。ホテルで口にしたザーサイはしっとりとした味で、それまで日本で食べていた瓶詰めとずいぶん異なる。
 晴天が約束されていた秋の日、隣りの安徽(あんき)省の黄山(こうざん)に行くことにした。長距離バスの料金から山頂のホテルの宿泊費まで、すべてが含まれたツアーに参加した。一人では淋しいので中国で知り合った女性に電話を入れると、明るい返事がきた。
 黄山の最高峰は1800メートル以上もあり、東京の高尾山とはスケールが違う。薄手のダウン、セーター、熱い白湯を入れた小型の魔法瓶を、旅行用のザックに詰めて出発した。
 山の中腹でお弁当となった。同行の彼女が用意してくれた包みを広げると、まだほんのりとぬくもりのあるマントーが二つ、ミカン、茹で卵に、なんと雪菜と少しのザーサイがあった。
 晴れ渡った紺青(こんじょう)の空が胸に染みる。日本からは遥か遠い黄山である。二度と来ることもないかもしれない。心のフィルムに焼き付けるように、連なる山容をじっと見つめていた。




【食べたり、書いたり、恋したり。】は、ほぼ隔週水曜日に掲載します。
 

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。

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