【コラム】ジェラートはどのように誕生したのか?

子どもから大人まで、みんな大好きなひんやりジェラート。アイスクリームともシャーベットとも違う、特有のおいしさがたまらないジェラートは、今や夏の定番スイーツのひとつですが、いつ誕生し、どのようにして広まったのでしょうか?
 イタリアでジェラート修業ののち、手作りのイタリアンジェラートの研究を続けている齋藤由里さんの著書『おうちで作るイタリアンジェラート』から紐解きます。

アイスクリームよりさっぱりとして、シャーベットよりクリーミー。そんなイタリアンジェラートの人気の秘密は、なめらかな舌触りとすっきりとした後味の絶妙なバランスです。「イタリアンジェラート」と呼ばれるだけあってイタリア発祥ですが、どのように誕生したのでしょうか。

滋養強壮のための飲みものだった

アイスクリーム全般に関するもっとも古い記述は旧約聖書。山羊の乳と蜜を氷雪と合わせたものを、栄養補給のために飲んだというものです。古代ギリシャには氷の保存施設が造られ、氷と果汁やはちみつを合わせた飲みものを楽しむようになったそう。
 また、古代ローマ時代においても、皇帝や貴族もこの飲み物を大変好み、中でも悪名高き暴君ネロはアルプスから奴隷に雪を運ばせ、バラやすみれのエッセンス、果汁、はちみつ、樹液などをブレンドして作った飲みものを愛飲し、ローマ市民の間にまで広まったという記録もあります。

シャーベットからジェラートへ

飲みものとは違ってもう少しジェラートらしいものが出現したのは、中国ともインドともいわれています。イタリアでは一説には9世紀頃のシチリアで、アラブ商人が持ち込んだ柑橘類や木の実と氷を混ぜた「sherbeth(シェルベス)」といわれており、これが後のシャーベットの語源です。
 それから時を経て16世紀、ジェラートに関するこんなエピソードがあります。
 当時洗練されたシャーベット作りの職人としてトスカーナで有名だったルジェーリが、トスカーナ公国の君主メディチ家主催の料理コンテストのデザート部門において優勝しました。これをきっかけにメディチ家のカテリーナがフランスへ輿入れする際、おかかえの料理人として彼を連れていき、フランスにもシャーベットが広まったとか。
 また、メディチ家がスペイン王を招いたとき、趣向を凝らしたデザートを供したいと、美食家であった宮廷おかかえの建築家ベルナルド・ブオンタレンティに命じたところ、当時の冷凍技術を使い、クリームに砂糖を加えて作った冷菓を披露しました。これがシャーベットからジェラートへの転換となったといわれ、今でもフィレンツェには「ブオンタレンティ」と名づけられたジェラートが並ぶ店が数軒あります。ブオンタレンティは別名「クレーマ・フィオレンティーナ」ともいい、現在でも卵、砂糖、牛乳、生クリームといったシンプルな材料で作られるものが主流です。

一般庶民へ広まったジェラート

それまでは貴族を中心とした上流階級のみが味わえた冷菓でしたが、17世紀後半には一般庶民の口にも入るようになります。
 シチリアの元漁師フランチェスコ・プロコーピオ・デイ・コルテッリがパリに開いたカフェにて、祖父から受け継いだ製法を改良し、氷の塊を冷やしながら混ぜることによって空気を含ませたクリーミーな仕上がりのジェラートのようなデザートを提供しました。店に通う知識階級、芸術家たちの間で評判となり、次第にヨーロッパの庶民にも広まったそう。プロコーピオのカフェ「ル・プロコープ」は、パリに現存する最古のカフェとして現在も健在です。
 先人たちが氷を駆使し、なめらかな舌触りのクリーミーな冷菓を求め、探究を重ねた結果が、今日の私たちが愛してやまないジェラートを生んだのでしょう。

私たちが今、おいしいジェラートを食べられるのは、惜しみない研究を重ねた先人たちのおかげなんですね。さらに、専用のマシンがなくても自宅で作れるジェラートを研究している齋藤由里さん。こうしてジェラートは日進月歩でおいしく進化を続けているのです。 
 

齋藤由里(さいとう ゆり)/お菓子作り好き、イタリア好きが高じてジェラートとお菓子作りを習うためイタリアへ。修業中にマシンがなくともイタリアンジェラートが作れるのではないかと考え、帰国後研究を重ねて、神楽坂の自宅でジェラートとイタリア菓子の教室「giglio(ジリオ)」を開く。イタリアの味を広めるとともに珍しいフレイバーのジェラート作りにも取り組み、遠くから通う生徒さんも。グループレッスン、プライベートレッスンのほか、不定期でカフェイベントを開催。
https://gigliodolce.jimdo.com/

イラスト:湯浅 望