【コラム】骨董って、なんだろう? 骨董店に教わる楽しみ方のヒント

今日は「骨董の日」。初心者には少々敷居が高く感じられる「骨董」ですが、そもそも骨董って、何でしょう? そこで、もっと気軽に骨董を楽しむための指南書『ゼロから分かる! 5000円からの骨董入門』から、骨董とは何か、その楽しみ方のヒントについてご紹介します。東京・下落合の骨董店「ギャラリー桑納」さんによる解説です。

「骨董(こっとう)」という言葉は、いつ生まれてどんな意味があるのだろう。

明治の文豪、幸田露伴の『骨董』には、支那の田舎言葉で大した意味はなく、古代中国の銅器の音から転じた当て字と書かれ、総じて古物の類をさすとある。明治24年に完成した日本初の国語辞典、『言海』にも「骨董」はのっている。〈雑多ノ器具、古道具ドモ〉とある。言葉としては、明治にはすでに広く使われていたことが想像できる。

西欧で骨董にあたる言葉はアンティークで、アンティークは100年を経たものをさす。実はこれ、1934年のアメリカの通商関税法だが、この頃から大量生産の時代へ移行したことを思えば、100年という線引きには一理あるだろう。近年では、アンティークより新しいものは、コレクタブル、ジャンク、ヴィンテージ、ブロカントなどと呼ばれている。

明快に割り切る西洋にくらべると、日本の「骨董」は曖昧模糊(あいまいもこ)としている。(一点の曇りもない完璧なモノに美術的価値をおく鑑賞派は別として)

骨董好きにとっては、〈雑多ノ器具、古道具ドモ〉ならなんでもいいというわけではなく、まずモノを手に取って触って感触をみる場合も多い。眼だけではなく手ざわりの感覚を確かめることで、古さだけでなく美のありようを見極めようとするのではないか。モノは、〝時〟という計り知れない何かによって新たな風合いを帯び、美しさを際立たせる。それは、モノがもつ本質が昇華され、抽出されたエッセンスとはいえないだろうか。無銘のモノが長いこと生きた時間によって生まれ変わり、未知の輝きを放つ。それらを侘びや寂びという美学まで押し上げたのは千利休だし、柳宗悦が示唆した用の美の見方からも気付かされることだ。「古くて美しいと感じられるモノ」に対する物指しは、私たち日本人に流れている独特の感性だ。

自由な眼で感じとり、好きだと思う心の動きと憧れ、傍らに置いて使ってみたい、と願う古くて美しいモノたち。その出合いの場が古美術店、骨董屋、古道具屋で、店の個性は一軒一軒違う。一人の主人の眼や感覚によって、選び抜かれたモノだけが提供される場なのだ。千紫万紅の桃源郷であり、時には魔境にも変じる空間。骨董の醍醐味は、この予期しないモノとの出合いにあるといえる。

大らかな肌合い、歪みやシミなどまで、そのモノに刻まれてきた時間や記憶や物語や床しさ。古くて美しいモノは、それらを見出した人が手に入れて受け継ぎ、いずれ次代へバトンタッチされていく。あるいは、朽ちていくこともあるかもしれない。

暮らしや住まいの変化によって、骨董も進化してきた。新しい息吹を汲み取って楽しんでほしいと思う。


コームバックウインザーチェア イギリス 18世紀 高さ106.5cm 座高37cm/(チェストの上右から)灯火器 日本 江戸時代 高さ29cm/砂張碗 韓国 高麗時代 口径17.5cm/古伊万里大壺 日本 江戸後期 高さ33cm/ステムグラス イギリス 18世紀 高さ13.7cm/コッファー イギリス 18世紀【ギャラリー桑納】

ギャラリー桑納(かのう)/主な取扱い分野は、内外の古骨董、古道具、現代絵画。「17年前に会社勤めを辞めて始めました。和洋古今を問わず、感覚のおもむくままにいろんなものを扱っています。最近はスリップウェア、ウインザーチェア、デルフトなど洋の骨董に力を入れています。あえて目標とする店のコンセプトをあげるとすればミニマルアートです」。

撮影:大見謝星斗